辛口情報

「ある医療訴訟」

 長いこと障害の分野で一緒に歩んできた友人が、都立病院を相手に訴訟を起こしました。
 話を聞いてみると、「障害に加えて難病を併発しているにも拘らず、担当の医師はそのことを家族に正確に伝えず従来の治療を続けて、結果的にお子さんが亡くなってしまった。」とのことです。開示された情報を基に、病院とは話し合いの場を持つこともしました。医療は専門領域への立ち入りにくいところがあり、納得のいかないものでした。最後の手段として訴訟に踏み切ることになったとのことです。
 初公判の傍聴の機会があり、母親の意見陳述を聞く機会がありました。私には医療上のことはコメントする能力がありませんが、「障害者の存在を軽く見ているのではないか、仮にこれが医師の家族であれば、もっと慎重に治療に当たったのではないか」という大まかな趣旨が妙に耳に残りました。障害に限らず子ども高齢者など支援を必要とする人たちには、同じような体験をした人は多いと思います。「人は誰でも平等に尊ばれる。」という考え方が言葉の上では定着している一方、個別の話になると未だまだの感もします。
 医師の丁寧さに欠けた対応の結果、大切に育ててきた子どもが亡くなる場面に出会い、悲しさと怒りはいかばかりでしょうか。やり場のない思いを裁判という手段に行き着くまでに相当悩んだことと思います。お金もかかるし時間も手間も半端になくかかるでしょう。敢えてその道を選んだ勇気には頭が下がります。
 少し話題を変えて考えてみると、日本の社会では子どもが親よりも先に亡くなるのを「逆さを見る。」といい、最も辛いことと言われています。青森県の北端に、亡くなった人の声が聴けると言われている「恐山」があります。名称から見ると何か恐ろしいところのイメージがありますが、行ってみると、可愛い子どものお地蔵さまがあぶちゃんを首にかけてたくさん並んでいます。傍に色鮮やかな無数の風車がクルクルと回っています。子どもに先立たれた親が持ち寄ったのでしょう。子どもを亡くした親の居たたまれない気持ちが背景にあるかも知れません。
 話を元に戻して、どうすれば平等に尊ばれる社会になるのでしょうか。まずは気付いた時に勇気を出して声を上げることから始まるしか方法はないようです。泣き寝入りからは本当の光は見えてきません。これには勇気がいりますし、個人で動くには荷が重いかも知れません。素朴に「変だな」と感じたときに、誰でも声を挙げ易いような仲間がいることは大切なことです。長年ゆめグループで培ってきた仲間作りこそ、その役目を果たし得るものと思います。

(文責 青葉紘宇)